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タモリさんの凄さと人生の肯定。

何度かこのブログでもお名前を出させていただいてますが、僕はタモリさんが大好きです。
大好きというよりも本当に凄いと尊敬しているというか、すごすぎてちょっとこわいくらいです。
タモリさんの凄さをあげるときに、まずあげられるのは、気配りの凄さです。
タモリさんが気配り上手だといっても「うーん?」となってしまう人は多いのではないでしょうか?
もしかしたらタモリさん本人もそんなことないよ、普通だよって思われているんじゃないかと思ってしまうほどの、気配りの自然さ。
本人は何ら意識をしているわけではなく、自然とそうしてしまっているのかもしれません。
タモリさんのやっていた番組で一番有名であろう、「笑っていいとも!」の看板コーナー、テレフォンショッキングでのタモリさんの立ち位置をみても、相手がどれだけ話しやすく出来るかと言うことに重きを置いているかというのがわかる。
そうタモリさんは自然体なのだ。
タモリさんがもし、あそこでなにかしゃべれよオーラを出しまくっていたら、ゲストによってはトークがそんなに上手くなかったり、慣れていなかったりする場合、力が入りすぎて、コーナーとしては、すこしばかりの緊張感がゲストから感じられ、お昼の視聴者のリラックスした休憩中に、緊張感たっぷりの番組をお届けものすることになっていたきとも多くなっていただろう。
タモリさんはトークも達者なので、自分で話し、場を上手くまとめることは安易に出来る。
でもテレフォンショッキングの主役はゲストだし、主役をゲストにすることによって、何十年も番組を続けることが出来るのだと思う。
主役はタモリさんで毎回タモリさんがメインで話す番組では、なかなかお昼に週5ではそうそうにマンネリを感じられてしまうだろう。
ミュージックステーションでも同じことが言える。
主役はミュージシャンというのがわかりやすいように、タモリさん自信は、あの自然体、よく言われるやる気がないようにみえるスタンスなのだ。
タモリさんはただ場を上手くとりもつために、気づかいをしているわけではないと思う。
自分のやりたことをやるために、それでもまわりに納得してもらえるように配慮している。
その配慮が自然過ぎて普通にテレビをみているだけではなかなか気づかないかもしれない。
その配慮の先は、現場で一緒に仕事をしている人、スポンサー、そして視聴者と全てに向いているのだ。
そうでなければ、タモリ倶楽部ブラタモリ、ヨルタモリみたいなタモリさんが好きなことをやる番組がまわりに支持されて継続出来るはずがない。
ここまでは僕がいつもみているタモリさんの感想だ。
ここからはタモリさんみついて欠いてある本などを参考にして書いてみる。
タモリ論では、筆者がタモリさんのことを絶望大王と呼んでいる。
タモリさんは人生に絶望しながら生きていると語っているのだ。
ぼくはそうは思わない。
タモリさんは人生はそもそもたいして意味のないことを前提に、その中でそこから出てくる日々のささやかな楽しみということに最大の希望を持って、毎日を楽しく生きているのではないだろうか。
だからタモリさんは楽しそうだし、みている人達も楽しくなってくるのである。
タモリさんは子供の頃に片目を失明している。
タモリさんは学生の弁論大会に2度挑戦し、高校1年のときは圏外、3年のときに優勝している。
1年のときは社会問題について難しいことを弁論、そのときもっと身近なことを話しましょうというアドバイスを受け、3年のときは、もっと挨拶をしようという極めて身近な内容で見事優勝している。
ブラスバンド部に所属していたが、お前のトランペットは笑っていると言われ、司会をするようになる。
タモリさんは、喫茶店のマスターをやったり、営業の仕事をやったりしていたが、結果的に自分のやりたいことを仕事にした。
自分が子供だから子供を育てる自信がないと子供をつくる選択をしなかった。
現在の僕たちと一緒なのだ。
違う時代に最先端の選択をしていたとも言える。
それはまわりの生き方を気にせず、自分で考え判断し、選択をするからこそとれる行動なのだと思う。
これからもタモリさんを応援していきたい。